ビットコインは突然現れたわけでも、偶然の産物でもない。デジタルキャッシュの必要性を痛感した先人による40年間の研究開発の賜物。
ビットコインは彗星の如く現れた革新的技術、サトシ・ナカモトという天才がゼロから生み出したシステムではありません。
以下、ビットコインの基礎を築いたサイファーパンクの挑戦、ビットコイン誕生から現在に至るまでの重要な出来事を Coinkite 作 Bitcoin Holiday Calendar および Alex Gladstein 氏著 “The Quest for Digital Cash” を参考に katakoto さんがまとめてくれました。
なお、サトシ・ナカモト以前のサイファーパンクの挑戦と挫折を綴った「サイファーパンクとデジタルキャッシュの歴史」を併せて読んでいただくと、ビットコインの存在意義、価値提案がよくわかると思います。
ビットコイン前史
Whitfield Diffie 氏とMartin E. Hellman 氏が論文 “New Directions in Cryptography” にて公開チャンネルで安全に通信するための公開鍵/秘密鍵ペアの最初の実装となる DH 鍵共有プロトコルを提案。
David Chaum 氏が公開鍵暗号を利用したデジタルキャッシュ DigiCash の開発成果をまとめた論文「匿名のセキュリティ:政府を陳腐化するための取引システム」を発表。金融プライバシーの保護と監視国家の台頭阻止を目指し、理論を社会実装するため会社を設立するも資金繰りに行き詰まり頓挫。
John Gilmore氏、Eric Hughes氏、Timothy May氏が「自由を守るための暗号技術活用法」を議論する “The List“(後にサトシがビットコイン・ホワイトペーパーを投稿したメーリングリスト)を創設。ビットコインの根底にあるビジョンに通じる Hughes 氏著の「サイファーパンク宣言」は必読。
Wei Dai 氏が Hashcash のプルーフ・オブ・ワークを採用した B-money を発表。中央管理体は単一障害点という DigiCash の教訓から生まれた史上初の分散型デジタルキャッシュ。
Nick Szabo 氏が金の採掘や加工といった現実世界で投入された時間とリソースが生む価値を “provable costliness” (証明可能な犠牲)としてデジタル世界に持ち込んだ Bit Gold を提案。
サトシ・ナカモトが初めて送ったビットコインの受金者かつ ”Running bitcoin” という伝説的tweet で有名な Hal Finney 氏がリユーサブル・プルーフ・オブ・ワーク (RPOW) を考案。
ビットコイン誕生〜2013年
サトシ・ナカモトがビットコイン・ブロックチェーンのジェネシス・ブロックをマイニング。ブロックには「まもなく銀行救済に二度目の公金注入(2009年1月3日)」という英タイムズ誌の記事タイトルが刻まれている。
Hal Finney 氏が Twitter に “Running bitcoin” と投稿。
2014年に ALS のため58歳で亡くなったサイファーパンクでビットコイン黎明期の貢献者である氏をサトシ・ナカモトだと信じる人は多い。
取引所 New Liberty Standard が1ビットコインを0.000994ドルで販売。
ビットコインを信用できると判断し、本物のお金と交換しても良いと考える人が現れた、ビットコインが市場テストを通過した日。
Laszlo Hanyecz 氏が1万ビットコイン(当時のレートで約41ドル)でピザ2枚を購入。ビットコインが交換手段として使われた初事例。
以来、毎年5月22日はビットコイン・ピザ・デイとして、世界中のビットコイナーがピザを食べてHanyecz 氏に敬意と感謝を表す日に。
ソフトウェアのバグを悪用して供給上限を上回る約1,845億ビットコインを生成する攻撃が発覚。バグ修正を含む更新でブロックチェーンはソフトフォーク。ソフトウェアを更新したノードがマイニングするチェーンが攻撃を受けたチェーンより長くなり、約 1,845 億ビットコインはなかったことに。
Ross Ulbricht 氏がビットコインを決済手段とする自由市場シルクロードをダークウェブに開設。ビットコインの検閲耐性、匿名性などが試される場に。
「他にやることができた」とのメッセージ投稿を最後にサトシが消息を絶った。
影響力を持つ発明者がいなくなり、ビットコインはより非中央集権的に。「サトシの最大功績はビットコインの考案ではなく、行方をくらませたこと」と言われるくらい重大な出来事。
渋谷に拠点を構えていた世界最大のビットコイン取引所 Mt.Gox が債務超過に陥り操業停止。
ビットコイン・リファレンス・クライアントソフトウェアのバージョン0.7と0.8の挙動がバグで乖離し、チェーンがフォーク。24ブロックをロールバックする調整を経てチェーン分岐は回避。
ビットコインの時価総額が初めて10憶ドルを超えた。
カナダ、バンクーバーのコーヒーショップ Waves Coffee House が世界初のビットコイン ATM を設置。手のひら認証装置を内蔵し、1日の交換は3,000カナダドル未満に設定された。
J.R. Willett 氏が ユーティリティー・トークン Mastercoin(後にOmniに改名)のICOを実施。4,740 ビットコイン(当時のレートで約50万ドル)を調達。
シルクロード創設者 Ross Ulbricht 氏が逮捕。仮釈放無しの終身刑と凶悪犯罪並みの極めて厳しい判決を受け、現在も収監中。
不当な量刑に抗議し、氏の釈放を目指す Free Ross Ulbricht では署名と寄附を随時受け付けています。
泥酔したビットコイナーが bitcointalk.org のフォーラムに “I AM HODLING” というタイトルで価格が下落してもビットコインを売らない理由を投稿。”Hold” のタイポからビットコイン史上最強のミームが生まれた。
2014年〜2019年
Joseph Poon 氏と Thaddeus Dryja 氏がビットコインのスケーリング問題の解決策として、ライトニング・ネットワーク・ホワイトペーパーを公開、非中央集権型のオフチェーン即時決済プロトコルを提案。
ビットコイン価格が初めて1オンスあたりの金価格(1,290ドル)を突破。
ビットコインのスケーリングをめぐり、ブロックサイズ引き上げを支持する企業58 社が SegWit アクチベーションとブロックサイズを2倍の2MB への引き上げに合意(ニューヨーク合意)。
ブロックサイズ引き上げに反対するノード運用者がユーザー・アクティベイテッド・ソフトフォーク(UASF)を実施。資金力と影響力でビットコインを支配しようとしたマイナーと企業にユーザー(ノード運用者)が勝利。一連の経緯の詳細は “The Blocksize War” をご参照。
SegWit が UASF クライアントによって正式にロックイン。
ビットコインメインネットで 1:57(協定世界時)、ブロック高481,824にて Segwit が有効に。
ライトニング・ネットワークを使って TorGuard から VPN ルーターを購入したとする投稿が reddit に掲載。モノやサービスへの支払いにライトニングが利用された初事例。
ビットコインを初めて交換手段として使い、ピザを購入した Laszlo Hanyecz 氏がライトニング決済でピザを購入。
ビットコイン・ネットワーク10歳の誕生日に Trace Mayer 氏が取引所などの第三者機関に預けてあるビットコインを自分のウォレットに引き出し、金融主権を回復することを提唱。
以降、毎年1月3日は Proof of Key(鍵所有証明)の日として定着。
2020年〜
エルサルバドルの議会がビットコインを同国の法定通貨とする法案を可決。
エルサルバドルでビットコイン法が施行。世界で初めてビットコインを法定通貨として採用した国に。
中央アフリカ共和国がビットコインを法定通貨として採用したと発表。
ビットコインを法定通貨化した国はエルサルバドルに続いて2カ国目。
ブロックスペースの需要が急増し、ブロックに含まれる全トランザクションが支払う送金手数料の合計(6.7 BTC)がブロック報酬(6.25 BTC)を初めて上回る