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ビットコイン前史:サイファーパンクとデジタルキャッシュの歴史

    デジタルキャッシュをHoly Grail(聖杯)として追い求めたサイファーパンクたち。彼らの挑戦と挫折なくして今ビットコインは存在し得ない。

    @TerukoNeriki
    Category ビットコインは希望 Tag 初級、政治、人権 Time 10分

    本記事は @TerukoNeriki が2021年10月22日にビットコイン研究所に寄稿したものです。

    ビットコインは彗星の如く現れた革新的技術、サトシ・ナカモトという天才がゼロから生み出したシステムだと思っている人は多いのではないでしょうか?
    ビットコインにつながる技術を1970年代から列挙した Ansel Lindner 氏による “Bitcoin Prehistory”(ビットコイン前史)というタイムラインを見れば、そうでないことがよくわかります。以下、Lindner 氏がタイムラインに添えたメッセージです。

    ビットコインは突然現れたわけでも、偶然の産物でもない。デジタルキャッシュの必要性を痛感した先人たちによる40年間の研究開発の賜物なのだ。

    本記事では、ビットコイン誕生に寄与したサイファーパンクと彼らの偉業を Alex Gladstein 氏が Bitcoin Magazine に寄稿した “The Quest for Digital Cash”(デジタルキャッシュを追い求めて)を基に振り返ります。

    サイファーパンクの誕生

    サイファーパンクとは国家による権力濫用と国民監視を阻止するために、暗号技術の活用を推進するプライバシー保護活動家を指します。サトシがビットコイン・ホワイトペーパーを投稿した先がサイファーパンクのメーリングリストだったことから、ビットコインのルーツとも言えます。ビットコイン開発者がよく “Cypherpunks write code” というミームを使うのもこのためで、黙々とコードを書いて政府が停止できないシステムを密かに構築することで、社会を平和的に変革したいというサイファーパンクの思いを表しています。

    暗号は長年、軍や諜報機関が独占使用していました。それが一般企業や市民に開かれたきっかけは1970年代に開発された暗号技術です。
    1976年、スタンフォード大学の研究員だったWhitfield Diffie 氏と Martin Hellman 氏は国家の検閲を回避してメッセージの送受信を可能にするディフィー・ヘルマン鍵共有プロトコルを考案しました。これに脅威を覚えたアメリカ政府は、彼らが登壇予定の学会参加者に会議への出席は違法行為に当たると警告するなどして技術の普及を妨害しようとします。サイファーパンクは論文のコピーを国中にばら撒くなどして抵抗し、最終的に政府が手を引く結果となりました。
    翌1977年、Diffie 氏、Hellman 氏、Ralph Merkle 氏が共同で特許申請をしたのがビットコインにも使われる「公開鍵暗号」です。公開鍵暗号は PGP や Signal などメールやチャットアプリの基礎を築いた技術でもあります。

    メーリングリスト

    World Wide Web の発明は1989年、史上初のブラウザとWebサーバが構築され、ウェブページが公開されたのが1990年。サトシがビットコイン・ホワイトペーパーを投稿した “Cypherpunks Mailing List”、通称 “The List” ができたのは、そのわずか2年後の1992年でした。
    同年、サン・マイクロシステムズの5番目の従業員で後に富豪となる John Gilmore 氏、プライバシー活動家の Eric Hughes 氏、インテルの開発者 Timothy May 氏が「自由を擁護するための暗号技術活用法」をテーマとする meetup をサンフランシスコで始めます。活版印刷技術の発明を機とする情報の民主化が中世ヨーロッパの君主制を終わらせたように、オープン・インターネットと暗号技術でプライバシー技術を民主化して監視国家を阻止する方法などが議論されました。

    Hughes 氏は1993年に書いた "A Cypherpunk’s Manifesto" で以下のように述べています。

    政府や企業が私たちのプライバシーを尊重するなんて期待するのが間違っている。プライバシーが欲しいなら、自分で守るしかない。サイファーパンクは暗号技術、匿名メール、電子署名、電子マネーでプライバシーを守る。そのために必要なソフトウェアのコードを書く。ソフトウェアは世界中の誰もが自由に無料で使えるようオープンソース化する。政府や企業が私たちのソフトウェアをどう思うかは関係ない。それが誰も止められない、壊せないことを私たちは知っているのだから。

    この考えに深く共感したのが、90年代半ばからメーリングリストで活発に発言していた Adam Back 氏、現在のBlockstream CEO です。ロビー活動や投票で政治を動かすより、誰の許可も不要な技術革新で社会を変える方が手っ取り早いと悟ったそうです。
    政府との戦い
    政府の監視や支配から逃れる手段を国民が手にすることを恐れたアメリカ政府は、暗号技術を武器兵器に分類して輸出を禁止し、国外での普及を阻止しようとします。

    クリントン政権は暗号は犯罪者やテロリストを利するだけと主張し、企業が製品にバックドアを設けることを義務付ける法案の可決を目指します。
    さらに1991年に PGP を開発し無料で世界に公開した Phil Zimmerman 氏を武器輸出管理法違反の疑いで捜査します。Zimmerman 氏を擁護するため、サイファーパンクは PGP のソースコードを印刷した本を大量に作って海外に発送します。本にすることで憲法で保障された表現の自由を主張するためです。Back 氏もフロントにPGPのソースコード、バックにアメリカの権利章典に “VOID”(無効)スタンプが押された図をプリントしたTシャツを販売して Zimmerman 氏を支援します。
    こうした活動が功を奏し、Zimmerman 氏への捜査は1996年に打ち切られます。さらに連邦裁判所は暗号化は憲法で保障される人権とする判決を下します。

    現在、PGP は世界で最も利用されるメール暗号化ソフトです。Amazon から WhatsApp まで、オンラインでの決済やチャットに暗号技術は欠かせません。サイファーパンクが書いたコードが世界を変えた一例です。

    暗号技術、暗号化権利をめぐる政府との戦いを制し、ネット上のコミュニケーションにおけるプライバシーを確保したサイファーパンクは、今度はネット上の金融プライバシーを守るべくデジタルキャッシュ創造に邁進します。

    DigiCash(1985年)

    1983年にブラインド署名を考案したカリフォルニア大学バークレー校の暗号学者 David Chaum 氏は、公開鍵暗号を利用したデジタルキャッシュの開発を模索していました。1985年に成果をまとめた論文は “Security Without Identification: Transaction Systems To Make Big Brother Obsolete”(匿名のセキュリティ:政府を陳腐化するための取引システム)というタイトルからして、電子決済のプライバシーを守ることで監視国家の台頭を阻止するというサイファーパンクの気概が感じられます。
    1989年、Chaum 氏は自ら構築した理論を社会実装するため、オランダのアムステルダムに移住して会社を設立、DigiCash をローンチします。銀行預金を検閲耐性のある暗号トークン変換し、銀行システムの外で個人がパソコンを使って送受金や保管できるサービスの提供を目指しますが、資金調達につまずき、事業は頓挫します。

    DigiCash がサイファーパンクに残した最大の教訓は、デジタルキャッシュは単一障害点となる中央管理体を持ってはいけないということでした。中央集権型デジタルキャッシュは規制圧力に弱く、運営会社の倒産リスクをともなうだけでなく、運営組織が通貨供給量を任意に操作できるという致命的欠陥を抱えています。

    Hashcash(1997年)

    現 Blockstream CEO の Adam Back 氏が1997年にスパム対策として考案した Hashcash は、マイニングの基礎技術としてビットコイン・ホワイトペーパーに引用されています。サトシ・ナカモトは「プルーフ・オブ・ワーク」を採用し、新規コイン発行にエネルギー消費を義務付けることで貨幣としての健全性と公平性を担保しました。このプルーフ・オブ・ワークの起源が Hashcash です。

    しかし、HashCash には処理能力の高いコンピュータを使えば貨幣供給を急増でき、ハイパーインフレを引き起こすという問題がありました。この問題は10年後、サトシによって解決されます。

    B-money(1998年)

    1998年、コンピュータエンジニアの Wei Dai 氏は「匿名性が保証された分散型デジタルキャッシュ」B-money を発表し、「個人の追跡、特定が不可能な電子決済およびネットワーク外部リソースに依存しない契約履行スキーム」を提案します。B-money には Hashcash のプルーフ・オブ・ワークが採用されていました。
    残念なことに、B-moneyは実用には至らなかったものの、Dai 氏が残した文献は、その後のデジタルキャッシュ開発に大きく貢献しました。

    Bit Gold(1998年)

    B-money と同じ年、暗号学者 Nick Szabo 氏によって Bit Gold が提案されます。Szabo 氏は Chaum 氏の DigiCash で働いた経験から、中央集権的な通貨発行体の脆弱性を痛感していました。そのため、ドルやユーロといった国家通貨と違って中央管理体を持たない金をデジタル空間で再現し、既存通貨とは異なる独自の価値提案を持つデジタルゴールドを基盤としたパラレル金融システムの構築を目指します。
    Szabo 氏は Bit Gold に “provable costliness” (証明可能な犠牲)という特徴を持たせます。例えば、金のネックレスの製作には多大な時間とリソースを投入して金を採掘した上でネックレスに加工する必要があります。金のネックレスの所有権とは、こうした犠牲を払った、または犠牲に見合う対価を支払ったことの証明でもあります。Szabo 氏は同様の “provable costliness” をデジタル世界に持ち込もうとしたのです。
    Bit Gold も残念ながら実装には至りませんでした。しかし、金に代表される生産が難しいハードマネーという概念と、ハードマネーを起点とした金融システム改革をサイファーパンク運動に結びつけた点で Bit Gold の意義は非常に大きいです。

    RPOW(2004年)

    サトシ・ナカモトが初めてビットコインを送った相手かつ ”Running bitcoin” という伝説的 tweet で有名な Hal Finney 氏は、 Bit Gold に触発されて2004年に “Reusable Proof of Work” (RPOW) を考案します。RPOW は “provable costliness” を持つハードマネーをトランザクション検証を目的としたオープンソースサーバーで構成するネットワークに融合しました。
    Finney 氏は自らが運用するサーバーでプロトタイプをローンチします。RPOW は非常に完成度の高いソフトウェアであったためネットワークをスケールすることも可能でしたが、当時はこうしたデジタルキャッシュへの需要はほとんどありませんでした。

    ビットコイン(2008年)

    2008年10月31日、サトシ・ナカモトはサイファーパンク・メーリングリストにビットコイン・ホワイトペーパーを投稿します。Back 氏の Hashcash、Dai 氏の b-money をはじめ先人の論文を引用したホワイトペーパーの冒頭の一文は、サイファーパンクが長年追いかけた夢の実現を期待させるものでした。

    「P2P 電子キャッシュであり、ネット上の支払決済を金融機関を介在せず、支払人と受取人という当事者間で直接行うことができる。」

    サトシは前述の HashCash のハイパーインフレ問題を「難易度調整」によって解決しました。ネットワーク全体の総演算能力に応じて約2週間毎に新規コイン発行難易度を見直す難易度調整は、ビットコインの革新性そのものと言っても過言ではありません。

    Bitcoin Magazine のライターでデジタルキャッシュの歴史を研究する Aaron van Wirdum 氏は Hashcash について以下のように述べています。

    「二重支払い問題を非中央集権的な方法で解決するとともに、中央発行体が不要な新規コイン発行システムを実現した。」
    Hashcash がなければ、非中央集権型電子キャッシュシステムは「存在し得なかっただろう」。


    10月31日のビットコイン13回目の誕生日を祝福する意味でビットコイン前史を振り返ってみましたが、いかがだったでしょう?

    個人的には、サトシ以前にインターネット上のプライバシーを死守するために国家権力に挑戦し続けたサイファーパンクの存在と、彼らのデジタルキャッシュへの熱意を知ることで、ビットコインへの感謝の念が深まりました。同時に、彼らが必死に守ろうとしたプライバシーの重要性を再認識し、ビットコインのプライバシー技術をしっかり勉強して使いこなせるようになろうと決意を新たにしました。

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